「女の砦」を意味するバンテアイ・スレイはアンコール遺跡の一つで、ヒンドゥー教の寺院遺跡です。他の遺跡群と違い規模も小さく郊外にあるのに、観光客が大勢訪れます。
その理由は、赤い砂岩の「細密なレリーフ」「ラクシュミーや猿王の彫刻」そして、もっとも人気があるのが「東洋のモナリザ」と言われている美しいデヴァー彫刻です。
この東洋のモナリザを見るため、シェムリアップから車で1時間かけて訪れました。
郊外の遺跡観光はツアー参加が楽チン!
バンテアイ・スレイは967年にラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成しました。
その後、アンコール朝の衰退に伴い忘れさられ、1914年に再発見されましたが、野焼きしている時に発見されたので、遺跡の所々が黒く焼けた跡が残っています。
クロマーツアーズの「バンテアイ・スレイ&ベンメリア」ツアーに参加
アンコール・ワット、アンコール・トムに引き続き、クロマーツアーズの「バンテアイ・スレイ&ベンメリア」ツアーに参加しました。
バンテアイ・スレイはシェムリアップから北東に約40キロ離れているため、車でも約1時間ほどかかります。トゥクトゥクで来ている人もいたけど、全ての道が舗装されていないため、赤土の砂埃がひどく大変そう。
バンテアイ・スレイは規模は小さいけど、入場ゲート・トイレ・お土産店など他の遺跡群とは違いキレイに整備されていました。何と言ってもトイレがキレイだったのが嬉しい。
900年代に作られたとは思えない赤土の繊細な彫刻
現地の人々が野焼きしている時に発見されたと言われているバンテアイ・スレイ。人の手がほとんど入らなかったことで、これほどキレイな状態で残っていたと思われます。
野焼きしていた事もあり、赤土の一部は黒く焼けていましたが、それでも美しい。
東門から第一周壁の門までの通路です。両サイドに並んでいるのはリンガと言って男性の性器の型をしたリンガ像です。リンガはシヴァ神の持つエネルギーの象徴と考えられ人々に崇拝されています。
大部分が赤い砂岩により建てられ、ヒンドゥー教の神話の蛇神ナーガやシヴァ神、インドの伝説「ラーマーヤナ」などのレリーフが彫刻されています。
半分に破壊されていますが、牛の像だと思われます。ヒンドゥー教において牛は崇拝の対象となっていて、シヴァ神の乗り物もナンディンと言う牡牛なんです。
望遠レンズがないと撮影できない「東洋のモナリザ」
盗難事件があった事で、近くから見えなくなったと言われているいわれている東洋のモナリザ。あまりに遠くて最初は気づきませんでした。
美しいデヴァー彫刻の「東洋のモナリザ」ですが、デヴァー彫刻は全部で16体あると言われています。中央祠堂が立ち入り禁止なので、肉眼で見れるデヴァー像はあまりありません。
中央祠堂の塔は猿の神様ハヌマーンと獅子(サンスクリットでライオン)のシンハ像、写真には写っていませんがヤクシャ(夜叉、男神)とガルーダ(怪鳥神)が守っています。
900年代に作られたと思えないほど、キレイな状態で保存されていたレリーフ。郊外にあった事で破壊から逃れたのかもしれません。
「東洋のモナリザ」と言われているデヴァー像は、遠くにあるので見えづらく残念だったけど、それ以上に印象的なったのが赤い砂岩のレリーフ(彫刻)です。
このレリーフを見るだけでも、車で1時間かけて来る価値はあると思います。
バンテアイ・スレイの次は、ベンメリアに向かいます。「天空の城ラピュタ」のモデルになった場所と噂されているベンメリアは、もっとも崩壊が進んだ寺院と言われています。

1923年にデヴァター像を盗み出し逮捕され人物とは!!
1923年、デヴァター像はフランス人の新進作家アンドレ・マルローによって盗み持ち出されました。その後、盗んだマロニーは逮捕され禁固3年の判決を受け、数年たってデヴァター像もバンテアイ・スレイに戻ってきました。
3年の判決を言い渡されたマロニーでしたが、パリの知識人らの署名嘆願運動により執行猶予1年に減刑され、この体験を基に代表作『王道』の小説を書いたと言われています。
ここで気になるのが「どうやって盗んだの?」また「盗んでどうするつもりだったの?」
結論から言うと「お金」のために盗んだと言われています。妻が投資で失敗し財産を失った時、密林に埋もれていた寺院が発見されたことを知ったマロニーは、妻と友人の3人で考古学の学術調査を装い盗みに入りました。
ノミとノコギリを使い盗み出し、国外に持ち出し骨董収集家に売る前に逮捕されました。
密林に埋もれていたバンテアイ・スレイが発見されたのが、盗みだされる約10年前。今のように整備されていたわけでもなく、盗みやすかったんでしょうね。
今ではこの事件の影響なのか柵が作られ、デヴァー彫刻は近くから見れなくなりました。望遠レンズがないと「東洋のモナリザ」と言われている顔を良く見れないのが残念だけど、骨董収集家に売られず戻ってきてよかった。
小説「王道」とは?:アンドレ・マロニーが体験したインドシナの体験や、クメール遺跡のことが書かれている冒険小説です。内容が気になる方はAmazonで販売されているので、読んでみてはいかがでしょう。
バンテアイ・スレイ(Banteay Srei) | |
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遺跡入場券/共通入場券 ※2017年2月より値上げされた金額です | 1日:券US$37、3日券:US$62、7日券:US$72 |
共通入場券が利用できる主な遺跡 | アンコールワット、アンコールトム(バイヨン寺院)、タプローム、バンテアイクデイ、タケウ、プリアカン、ニャックポアン、東メボン、プレループ、バコン、プリアコー、ロレイ、バンテアイスレイ、クバルスピアン |
持ち物 | ・水またはスポーツドリンク ・干し梅(熱中症防止) ・カメラ+モバイルバッテリー ※気温が高い時期は通常よりバッテリーの消耗スピードが速いため |
遺跡を見学する場合の注意点 | 2016年8月より服装に関する新たな規定を設けることが発表されました。 以下、禁止された服装です。 ・ノースリーブ ・ひざ上丈の半ズボン ・ミニスカート ※旅行者がヌード撮影をするなど、風紀を乱す行動が続いていることが今回の対策の原因になったと言われています。 |
バンテアイ・スレイの歴史 | 967年にラージェンドラヴァルマン王が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤーヴァルマン5世の代にヒンドゥー教の寺院として完成しました。アンコール朝の衰退に伴い忘れ去ら1914年に再発見されましたが、発見された理由が現地の人達が野焼きを行っている時に見つけられたと言われています。 |