アンコール・ワットを見学する場合「個人で回る」「ツアーに参加」の、いづれかの方法で見学します。
個人旅行で来ていると、自由に見学したいと思いますよね。ただし、遺跡など歴史のある建物は、事前の予習がないと”ただの古い建物”くらいで終わってしまいます。
ただの古い建物は極端すぎるけど、やっぱり歴史を知ってから見学したほうが、感動も倍増しますよ。
アンコールワットは「個人」or「ツアー」どっちが良い?
以前、急遽エジプト旅行に行く事になり、基本知識がないままピラミッドや神殿を見学し、それなりに満足して帰国しました。
しかし、数年後にエジプトの特集番組を見て唖然!有名な観光地や見所を見逃していたんです!!
その当時は満足していたけど「知っていれば行きたかった!!」と思える所が沢山あり、落ち込みました。
直ぐに行ける所ならそれでも良いけど、一生に一度、来れて二度の所だと、なおさら事前準備(知識)があった方が、後悔のない旅ができると思います。
初めてカンボジアを訪れることになり、一番に考えたのが「満足できる旅にしたい」
そこでアンコール・ワットの見学は早朝は個人で回り」そして、一度ホテルに戻り午後から「日本語のツアーに参加」してアンコール・ワットの内部見学。
○朝焼けのアンコール・ワットは個人で回る
○午後から日本語ツアーに参加して内部を見学
上記の2プランでアンコール・ワット見学するとこに決めました。個人で回る方法やツアー参加した情報などを詳しく紹介します。
朝焼けのアンコール・ワットを観に個人で行く方法
アンコールワットを早朝訪れる場合「どうやって行くか!」ここが気になりますよね。一番簡単な方法は、タクシーかトゥクトゥクを前日に予約して、早朝にホテルに来てもらいます。
大きなホテルであれば、ホテル専属のトゥクトゥクが待機しているので、ホテルを通して予約。
ホテル専属のトゥクトゥクがいない場合、宿泊しているフロントに相談し誰か紹介してもらいましょう。
それでも見つからない場合は、道に待機しているドライバーと交渉して、早朝に来てもらうよう予約します。
シェムリアップの街中では、いたる所にトゥクトゥクが待機しているので、予約は簡単にできます。ただし気になるのが誰に頼むか!
ガイドブックにはボッタクリのドライバーも居ると書かれているし、特に女性の場合は安全面が気になりますよね。
ガイドブックに「数字が書いてあるベストを着用したドライバーは安全」と書かれていたけど、滞在中1度もみかけませんでした。
最終的にはインスピレーションと見た目で選ぶしかないんでしょうね
私は兄がシェムリアップを訪れ、その時とても対応の良かったドライバーの携帯番号を教えてもらいました。滞在の4日間貸切の状態で、希望の時間に迎えに来てもらい、自由に見学する事ができました。
早朝のアンコールワットを見学するまえのポイント
①トゥクトゥクを前日に予約する
②日の出の時間を調べる
③見学ポイントを調べる
トゥクトゥクの「貸切りチャーター」や「乗り方」などを↓コチラにまとめてみました。

早朝は撮影ポイントを巡る争いがあります
AM5:00前にホテルに向かえに来てもらい、まずはチケット販売所で共通入場パスポートを購入します。
1日有効入場券US37ドル、3日券US62ドル、7日券US72ドルなど、アンコールワット以外の遺跡にも入場ができます。カンボジアの物価から考えるとかなり高額な料金となりますね。
他に行く予定の遺跡が含まれていれば、3日券がおすすめです。滞在日数が少ない場合、シェムリアップ到着の翌日にはアンコール・ワットに来た方が、入場券を有効に使う事ができますよ。
アンコール・ワットの入口に到着し、トゥクトゥクのドライバーとはここでいったんお別れです。戻って来る時間を伝え、真っ暗な道を持参した懐中電灯で足元を照らしながら、池の方向へ向かいます。
AM5:30過ぎに池に到着すると、真っ暗な中に大勢の人が集まっている気配を感じます。
日が昇る頃には更に人が増え、幻想的な雰囲気とは違い、撮影場所の争いがはじまりました。
少しでも良い場所で撮影したいのは皆同じ。前に前に出てくるので、人が入らない写真を撮るのは、なかなか大変です。
AM7:00になると雲もなく、キレイな日の出を見る事ができました。曇り空の場合、1時間以上待っても日の出がみれません。こればかりは「運」があるかないかでしょうね。
写真を撮り終わり入口に戻るため振り向くと「こんなに居たの!」と思うほどの大勢の人達がいました。やっぱり人気の観光地は凄い人ですね。
ちょっと気になったのが、池の一番前に座っていた人達。座っていたゴザを置いて帰りました。
池の周りにはポストカードを売っている子供達も沢山いたので、場所を確保して観光客に売っていたのかな。値段にもよるけど、場所代を払って一番前に行けるなら、それもありですね。
朝焼けのアンコール・ワット見学が終わると、ほとんどの人が帰ってしまいます。いったんホテルに帰り、朝食を食べてから、もう一度来る人が多いようです。
どこに居るの?自分が乗ってきたトゥクトゥクが見つからない!
往復でトゥクトゥクを予約しているため、入口付近には多くのトゥクトゥクが待機していました。
ここで困るのが「自分が乗ってきたトゥクトゥクが見つからない!」
当日に会ったばかりのドライバーの顔は見分けがつかないし、早朝の暗い中に乗ったので、どれが自分のトゥクトゥクか分からなくなります。
幸いな事に4日間専用でお願いしていた、トゥクトゥクドライバーのMENGさんはとても良い人で、MENGさんの方から見つけてくれました。しかし、100台以上の中から自分が乗ってきたトゥクトゥクを探すの難しい。
見つけるのが心配な場合、目印になるバンダナなどを結わいておいた方がいいですよ。
クロマツアーズのアンコール・ワット+夕日鑑賞ツアー
日本語ガイドが案内してくれるアンコール・ワットツアーはいつかあります。今回は事前にインターネットから予約でき、ホテルまで送迎してくれるクロマツアーズに予約しました。
今回のツアーも含め合計3回、クロマツアーズに参加しましたが、日本語のレベルはガイドさんによって多少違います。
レベルが違うと言っても、歴史などが説明できるので、私が英語を話す以上にレベルが高いと思います。
ツアーと言うと他の人と一緒に見学するので、自由がないと言うイメージですよね。せっかく世界遺産のアンコール・ワットに来ているので、少し料金は高くなるけど「専用車のツアー」に申込みました。
ツアーには混載者と専用車があります。専用車は1グループごとに1名のガイドさんが付くので、ある程度の自由が可能です。
念願叶って世界遺産のアンコールワットに来れたので、料金は少し高くなるけど、自分達のペースで見学できるほうが断然楽しい!!
名前のボードを持ったガイドさんとホテルのロビーで待ち合わせ
待ち合わせ時間にホテルのロビーに行くと、名前が書かれたボードを持ったガイドさんが待っていました。簡単な挨拶を交わし、大型バンに乗り込みます。
アンコールワットの入場券を持っていない場合は、共通入場券を買いに窓口に立ち寄ってもらえます。私達は早朝に買っていたので、そのまま入口に向かいました。
涼しい車内から一歩外にでると、観光できるか心配になるほど暑い!
ガイドさんも「もっと観光しやすい季節に来るればよかったのに!」「カンボジア人もこの時間は昼寝をしているよ!」と言われてしますほどの暑さです。
暑いのは予想していたけど、やっぱり遺跡観光にはベストシーズンの11月下旬から2月頃に来た方がいいみたい。
入口から長い参道を歩き西塔門へ向かいます。参道の左側はデコボコしているのが分かりますか?
これは当時の様子を残すため、あえて修復していないようです。ちなみにキレイに舗道された右側の道は、日本の上智大学が修復しました。
西塔門に安置されている『ヴィシュヌ神の立像』です。ヴィシュヌ神のために建築された寺院なので、元は中央祠堂塔にありました。16世紀のソター王の時代に中央祠堂塔に仏像がもちこまれ、ヴィシュヌ神はこの西塔門に安置されました。
ヴィシュヌ神の立像の足元は触る事ができるため、多くの人が触れて色が変わっています。
第一回路には760mのにも渡り、ヒンドゥー神話をメインに8つの異なる物語が彫り刻まれています。
【8つの物語/1:マハーバーラタ、2:創建者スーリヤバルマン2世の行軍、3:天国と地獄、4:乳海攪拌、5:ヴィシュヌ神の隊列と阿修羅軍の決闘、6:鬼神バーナを攻撃するクリシュナ神、7:神々と阿修羅のアムリタをめぐる戦い、8:ガルーダに乗ったヴィシュヌ神】
第3回廊へは急な階段を上ります。なぜ急な階段になったかと言うと、神様に一番近づく場所なので、急な階段にする事でお辞儀スタイルなるからと言われています。当時は王様や位が高い人しか入れませんでした。
階段を上る場合は帽子は脱いで下さい。階段の横に係員が待機しているテントがあり、帽子を取らないと注意されます。
第3回廊頂上からの眺めです。丸く見えるのは気球(アンコールバルーン)です。上空200mの位置まで登り空からアンコール遺跡群を見る事が出来ます。
アンコール・ワットの中心部、たしかパワースポットとガイドさんが言ってたらと思います。ちがったかな?
江戸時代の平戸藩士、森本 右近太夫(もりもと うこんだゆう)の落書きです。中央部の十字路回廊付近に書かれていますが、ガイドさんに案内されなかったら見つけられませんでした。
サムライは何故アンコールワットに来たのでしょうか!
アンコールワットに侍の落書きがあるのは有名ですよね。世界遺産に墨書で落書きを書くなんて、今の時代だったら警察に捕まってしまうけど、当時はよかったのかな。
しかし、何故こんなに遠いアンコールワットに日本から来る事になったのでしょうか。
落書きを書いた人物として有名なのが森本右近太夫ですが、実際はもっと多くの日本人がカンボジアに渡り、アンコールワットで落書きを書いています。
森本氏がカンボジアに来たのが寛永9年(1632年)と言われています。1632年と言えば、徳川秀忠が病死し家光の政治が始まった時代です。日本史で言うと「島原の乱(1637年)」の少し前になります。
1633年から鎖国政策が始まり海外渡航が禁止になったので、カンボジアに行くにはちょうど良いタイミングでした。しかし、帰国後は渡航したのが見つからないよう、ひっそりと生活していたと言われています。
気になるのがアンコールワットに来た理由です。その当時、アンコールワットが仏教の聖地「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」と間違った情報が日本に伝えられ、参拝の目的で渡航したと考えられます。
落書きには『父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈念するため』との事が書かれていたので、お父さん、お母さんのために、こんなにも遠いカンボジアに来たのでしょう。
祇園精舎とは?:中インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティーにあった寺院で、釈迦が説法を行った場所であり、天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。
<森本右近太夫が書いた墨書の内容>
「寛永九年正月に初めて此所に来る。生国日本、肥州の住人、藤原の朝臣森本右近太夫一房、御堂を心がけ、数千里の海上を渡り、一念の儀を念じ、生々世々裟婆寿世の思いを清める者なり。其の為に仏四体を奉るものなり。
摂州津国池田の住人森本儀太夫右実名一吉、善魂道仙士、裟婆の為に是を書くものなり。尾州の国名谷の都、後、其の室老母の亡魂、明信大姉の後世の為に是を書くものなり。寛永九年正月廿日」
アンコールワット見学後、夕日が有名なプノンバケンの山道を登ります
アンコールワット見学後、次の目的地であるプノンバケンに来ました。ただし、見てのとおりの曇り空。
20分ほどかけて山道を登り山頂に到着したけど、やっぱり夕日は見れず、直ぐに下山しました。
聖地のためか、山道を登る途中でショートパンツの人は止められていました。頂上でも肩を出していた人が上着を着るよう注意されていたので、服装は注意して下さい。
アンコール・ワット(Angkor Wat) | |
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遺跡入場券/共通入場券 ※2017年2月より値上げされた金額です。 | 1日:券US$37、3日券:US$62、7日券:US$72 |
共通入場券が利用できる主な遺跡 | アンコールワット、アンコールトム(バイヨン寺院)、タプローム、バンテアイクデイ、タケウ、プリアカン、ニャックポアン、東メボン、プレループ、バコン、プリアコー、ロレイ、バンテアイスレイ、クバルスピアン |
持ち物 | ・早朝の場合:ライト ・水またはスポーツドリンク ・干し梅(熱中症防止) ・カメラ+モバイルバッテリー ※気温が高い時期は通常よりバッテリーの消耗スピードが速いため |
遺跡を見学する場合の注意点 | 2016年8月より服装に関する新たな規定を設けることが発表されました。 以下、禁止された服装です。 ・ノースリーブ ・ひざ上丈の半ズボン ・ミニスカート ※旅行者がヌード撮影をするなど、風紀を乱す行動が続いていることが今回の対策の原因になったと言われています。 |
アンコール・ワットの歴史 | ■12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、約30年のかけてヒンドゥー教寺院として建設。 ■1431年頃、アユタヤ王朝によってアンコールワットが陥落し、プノンペンに王朝が遷ると、忘れられた都市となる。 ■その後、再発見され未完成だった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した(1546年から1564年の間) ■1972年、カンボジア内戦で多くの仏像がクメール・ルージュによって首を切られ、アンコールワット内部も破壊される。 ■1992年、アンコール遺跡として世界遺産に登録される。 |
クメール・ルージュとは? | カンボジアの政治勢力、及び武装組織(ポル・ポト派とも呼ばれている)クメール・ルージュは1973年ごろからカンボジアを支配し、多くの市民や教師・医師・技術者・学生などの知識人を残虐しました。この期間に200万人以上の人々が殺されたと言われています。 |
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