アンコールワットは東西約1500m、南北約1300m、幅200mの環濠に囲まれた、東南アジア最大級の石造伽藍です。東京ドーム42個分の大きさで、約35年かけてヒンドゥー教の寺院として建設されました。
12世紀前半から約600年間に渡って栄えたアンコール王朝でしたが、都が別の場所に移った事で、いつしか人々から忘れられ、その後、19世紀にフランス人の「アンリ・ムオ」によってヨーロッパ中に紹介されるまで、密林の中でひっそりとたたずんでいました。
西参道を歩き西門塔(正門)、更に第一回廊、第二回廊、第三回廊へ
西参道を歩き西門塔(正門)を更に進むとアンコールワットの中心部が見えてきます。内部には、第一回廊、第二回廊、第三回廊、十字回廊があり、第一回廊にはヒンドゥーの神話をもとにしたレリーフが描かれています。
西塔門に安置されている『ヴィシュヌ神の立像』です。ヴィシュヌ神のために建築された寺院で、元は中央祠堂塔にありました。16世紀のソター王の時代に中央祠堂塔に仏像がもちこまれ、ヴィシュヌ神はこの西塔門に安置されました。
早朝の混雑が嘘のように、池の周りには観光客があまりいません。池の前には観光用の馬が繋がれていまいした。アンコールワットを背景に馬に乗って撮影ができるようです。
朝焼けのアンコールワット見学時には大勢の人が集まる【リフレクティング池】です。カンボジアの国旗にも描かれている3塔ですが、左右対称の形をしています。風が吹かなければキレイな逆さアンコールワットを見る事ができます。
池の近くにはお土産店が並んでいました。Tシャツやスカート、ワンピースなどナイトマーケットに販売されていると似たような商品が並んでいました。
第一回路には760mのにも渡り、ヒンドゥー神話をメインに8つの異なる物語が彫り刻まれています。
8つの物語/1:マハーバーラタ、2:創建者スーリヤバルマン2世の行軍、3:天国と地獄、4:乳海攪拌、5:ヴィシュヌ神の隊列と阿修羅軍の決闘、6:鬼神バーナを攻撃するクリシュナ神、7:神々と阿修羅のアムリタをめぐる戦い、8:ガルーダに乗ったヴィシュヌ神
アンコールワットの創建者『スーリヤバルマン2世(Suryavarman II)』の行軍レリーフです。ヴィシュヌ神と同じような顔で描かれているので、王様は「神の化身」と考えられていたのかもしれません。
1970年代のカンボジア内戦時にはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の拠点となったため、建物の内部には弾丸の後も残っています。宗教や文化を否定していたクメール・ルージュによって仏像などが破壊されました。
アンコールワット全体で約2000体のデバターの女神が彫られています。当時の宮廷で働いていた女官の姿が描かれたと言われていますが、1体1体顔が違うので、見比べると楽しいですよ。ちなみに、このデバターは観光客が触るため、胸だけ色がかわっていました。
天井の花状紋のレリーフはフランス植民地時代にフランス人によって修復されました。
『天国と地獄』のレリーフです。閻魔大王の姿と裁判の様子が描かれています。レリーフは3段に分かれ上段は「天国」、中段は「現世」で閻魔大王のいる裁判の様子、下段は「地獄」の様子が描かれています。
裁判の結果、地獄へ落とさた人々が描かれています。地獄を描いたレリーフには横たわった人間の口に木の枝を入れたり、ガリガリに痩せた人、火あぶりや串刺しなど惨いレリーフが描かれています。
アンコール・ワットの中心部の床石に四角い石が埋め込まれている場所があります。たしかパワースポットとガイドさんが言っていたような。違ったかな?
中央部の十字路回廊付近に江戸時代の平戸藩士、森本 右近太夫(もりもと うこんだゆう)の書いた墨書の落書きを見る事ができます。カンボジア内戦時にペンキで塗りつぶされ最近剥がれて見えるようになりました。
第3回廊へ登る階段です。階段の登り口付近に係員が待機しているテントがあり、そこに帽子は脱ぐような絵が書かれていました。第3回廊は神様に一番近づく場所なので、失礼のないように帽子は取るようです。
以前は手すりもなかったので転落する人も多くいたようです。何故こんなに急な階段を作ったかと言うと、第3回廊には神様が居るため、敬意を表し自然と頭を下げる格好になるよう、この様な急な階段にしたと言われています。
中堂祠堂は地上から65mの高さで、神様と交信する場所「宇宙の中心」と考えられていました。シェムリアップではアンコールワットより高い建物は禁止されているので、65mより高い建物はありません。
この広いスペースは王様専用の『沐浴池跡』です。こんな場所に何故お風呂?そして、どうやって水を運んだのでしょうか??
敷地内には野生の猿がいました。小猿は小さくてカワイイけど、大人の猿は流石に怖い。食べ物を見せないように注意してください!!
アンコール内部の写真はいかがでしたか?日本語が堪能なガイドさんにレリーフの意味やカンボジアの歴史から戦争当時の話しなど、沢山の話しを聞く事ができました。
説明を聞いても分からない所があったので、歴史を少し勉強していくと、より良く楽しめるとおもいます。